先日来、Twitter上で「#初めて見た彗星」という話題が一部で盛り上がっています。私の観測範囲では、ハレー彗星と答えた方が最も多そうな雰囲気でしたが、世代によってそれ以外の彗星を上げる方も多く、なかなか面白いことになっていました。奇しくも「恋する小惑星」の検証記事で彗星の光度予測の話題を取り上げたこともありますし、手慰みに、ここではハレー彗星以降で注目された彗星の一部について振り返ってみようと思います。
なお、各彗星の光度データはComet Observation Databaseに集積されているデータを参考にしています。このデータベースですが、かなり古い彗星のデータまで載っていて、眺めているだけでも結構楽しいです。
1P/ハレー彗星
私が初めて見たのが、1986年に回帰したハレー彗星です。
1986年に回帰した時の光度データがこちら。1985年8月ごろからアマチュアの観測システムで捉えられ始め、12月頃には肉眼等級に達しました。彗星はその後も明るさを増していきます。
こちらは日没1時間後の西空ですが、年が明けたころの明るさは4等前後にまで達しています。ただ、高度はどんどん下がってきて、1月28日が近日点通過前の最後の観測となりました。
近日点を通過した彗星は、明け方の空に移ります。上の図は日の出1時間前の南東の空。彗星は2月半ばぐらいから観測され始め、3月~4月にかけて2~3等程度で観測されました。ただ、見ての通り高度が非常に低く、北半球からの観測は困難でした。この後は明るさがどんどん下がっていきました。
誰もが知っているような有名な彗星で、ハレー彗星接近前には「ハレー彗星特需」とでもいうべき天体望遠鏡の一大ブームが巻き起こりました。中学生になったばかりの私もブームに乗せられたクチで、1985年に今はなき望遠鏡販売店アトムで、口径125mmのニュートン式反射望遠鏡とスーパーポラリス赤道儀を組み合わせた「スーパーミラーR-125S」を「マイコンスカイセンサー2」と併せて購入しています。
ただ、当時から分かっていたことですが、今回の回帰は有史以来最悪の条件といってもいいレベルのものでした。彗星が太陽に接近して最も明るくなる時期に、彗星は太陽を挟んで地球の反対側にあり、観測できなかったのです。彗星-地球間の距離もあまり縮まらなかったため、明るさ、見栄えともにかなり劣悪でした。
私は年末年始の頃に観測していた覚えがありますが、街なかで光害が激しい上に明るさがパッとしないこともあって、望遠鏡を使ってもかなり寂しい見え方でした。視野の中に彗星があるのは分かるのですが、とにかく非常に頼りない見え方でがっかりした覚えがあります。今なら、条件が悪かったにしても、これだけの明るさがあればきれいに写真に残せると思うのですが、当時はそんなこと、思いもよりませんでした。
ちなみに、こちらが1910年の接近時の光度データ。1986年の時とは比べ物にならない明るさで、120度にも及ぼうかという長大な尾も見えていたということから、光害がほとんどない空ではさぞ壮絶な眺めだったろうと想像されます。
オースチン彗星(C/1989 X1)
次に話題になったのが、1989年に発見されたオースチン彗星(C/1989 X1)です。ニュージーランドのロドニー・オースチン氏により1989年12月に発見されました。発見時、彗星は太陽から3億5千万キロメートル以上離れていたにもかかわらず、11等もの明るさで観測されていたことから、1976年のウエスト彗星(C1975 V1)以来の大彗星であることが期待されました。
こちらがオースチン彗星の光度データです。当初、彗星は赤いラインで示したように明るくなると予想され、マイナス等級に達するモンスター彗星として大きな期待を浴びていました。
ところが、2月下旬ごろから明るくなるペースが極端に鈍くなり、結局マイナス等級どころか、最も明るくなった時期でも4等前後と、ごくごく平凡な彗星に終わりました。1972年のジャコビニ流星群、1974年のコホーテク彗星(C/1973 E1)に並ぶ天文史上最悪の期待外れの1つとも言われ、名前をもじって「大嘘チン彗星」などと揶揄されたりもしました*1。
明るさの予測が上振れしたのは、太陽から遠い時点で異例の明るさを見せたために、核そのものが大きいと誤認されたのが大きな理由の1つです。
この明るさは、メタンなど低温でガス化する物質が噴き出したためだったと考えられます。すでに太陽の周りを何度も回っている彗星の場合、こうした物質はすでに揮発しているため噴出が起きず、暗く見えるのですが、オースチン彗星は初めて太陽に近づく彗星*2。その分、揮発物質が豊富で明るさに「ゲタ」を履かされた状態だったわけです。
かつて、バージンコメットは揮発物やチリが豊富なため明るくなると言われていたのですが、上記のような理由により今ではほぼ否定されています。先述のコホーテク彗星や、2013年に話題になったPANSTARRS彗星(C/2011 L4)、ISON彗星(C/2012 S1)もこの手合いで、発見直後の「明るくなりそう!」という話は眉にツバを付けて聞くべきかと思います。
こちらは日没1時間後の西空。3月から4月にかけては、西の低空を這うように動いていきました。本当ならこの頃は1~2等前後で見えるはずでしたが、実際の明るさは6等前後でしたので、観測は非常に困難でした。
4月中ごろからは、明け方の空に回ります。こちらは日出1時間前の東空ですが、急速に高度を上げて条件的には見やすくなってきます。当初の予想では、マイナス等級の素晴らしい姿が拝めるはずでしたが、実際の明るさはせいぜい4~5等でしかなく、まったくもって見栄えはしませんでした。
私はこれも一応、望遠鏡で覗きましたが、ハレー彗星以上に情けない見え方で「かろうじて存在が分かる……ような気がしなくもないような……」という程度でした。
レビー彗星(C/1990 K1)
大外れのオースチン彗星が去った後、入れ替わるように明るくなってきたのがレビー彗星(C/1990 K1)です。1990年5月20日、アメリカ・アリゾナ州のデビッド・レビー氏が発見しました。
こちらが光度グラフですが、発見後は順調に明るさを増していき、8月ごろには3等台にまで達しました。結局、このレビー彗星がこの年で最も明るい彗星になりました。
こちらが夜9時のレビー彗星の位置です。最も明るかった8月ごろには空高く昇っており、非常に観測しやすい彗星でした。
この彗星は、街なかからでも望遠鏡でしっかりその姿が確認できたのを覚えています。私にとって、初めてまともに見られた彗星と言っていいかもしれません。
百武彗星(C/1996 B2)
レビー彗星以降、久しく明るい彗星が現れませんでしたが、1996年1月、日本のアマチュア天文家の百武裕司氏が新彗星を発見しました。発見後、軌道を計算すると、この彗星は地球に0.1天文単位の至近距離にまで接近することが明らかになりました。
こちらは百武彗星の光度データですが、百武彗星が接近するとともに急速に明るさを増しているのが分かります。最も接近した時には0~マイナス等級にまで達しています。また、コマの見かけの大きさも非常に大きくなりました。
都心からでも肉眼で容易にその姿を確認でき*3、また時間をおいて見るとどんどん移動していくのがハッキリと分かりました。さらに、空の暗いところでは100度にも達する長大な尾が確認でき、まさに大彗星の風格だったと言います。
夜0時の百武彗星の位置です*4。最接近の頃には、わずか数日で大きな動きを見せていることが分かります。
ヘール・ボップ彗星(C/1995 O1)
1995年7月23日、アメリカのアラン・ヘール氏とトーマス・ボップ氏が独立に発見した彗星です。発見当時、彗星は木星の軌道のずっと外側にいたにもかかわらず、11等と異常に明るく観測されていました。これは有名なハレー彗星の100倍もの明るさに相当します。このことから、太陽に最接近する頃にはマイナス等級の大彗星になると予想されました。
ただ、コホーテク彗星やオースチン彗星に懲りた人たちの中には「一時的に明るくなっているだけで、所詮、ヘボ彗星(ヘール・ボップの頭文字から)だろう」と陰口をたたく人も、いたとかいなかったとか。
こちらがヘール・ボップ彗星の光度グラフです。1996年後半、やや光度上昇のペースが鈍ったことから「やっぱり『ヘボ』だったか……」と心配されましたが、その後は順調に明るさを増していき、太陽に接近した1997年4月ごろには-2等級にまで達する大彗星になりました。
こちらは1997年1月からの日出1時間前の東の空です。この間に彗星の明るさは3等台からマイナス等級までに明るくなり、夜明けの空でぎらぎらと輝いていました。私は2月末~3月頭くらいに見ましたが、都心から肉眼でも力強く伸びたダストの尾をハッキリと見ることが出来ました。「誰でも空を見上げた時に、彗星だと認識できるのが大彗星」と言われますが、まさにこの定義にたがわぬ大彗星でした。
こちらは3月から5月にかけての日没1時間後の西空。ちょうどお花見シーズンでしたが、桜の合間から見えるマイナス等級の彗星は非常に印象的でした。
太陽にあまり近づかず(0.94天文単位)、地球との位置関係も決して良くはありませんでしたが、とにかく核が直径50km(推定値)と桁外れに巨大でした。正真正銘、真の意味での「大彗星」と言えます。
長くなったのでまずはここまで。次回は2000年以降の彗星を取り上げます。