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「恋する小惑星」を検証してみた 第3話

今回は昼間の日常回ということで、さすがに天文ネタはほとんどなしでした。


星が写っているカット自体、テスト前にあおがベランダから眺めていた空*1と、いの先輩が桜先輩と電話でお話ししているときに窓から見えていた空*2くらい。星の位置の描写が正確なのはもはや驚くべきポイントではないので、今回は検証記事やめようかな……と思っていたのですが、アバンでちらっと彗星の話が出ていたので、そのあたりを。



あお『ジョンソン彗星、今月は5等級まで明るくなるみたい』
みら『5等…ってことは望遠鏡で見える?』
あお『うん。私の双眼鏡でも見られると思う』
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あお『ほかにもPANSTARRS彗星とか、タットル・ジャコビニ・クレサーク彗星とか』
みら『あはは!それ名前長すぎ!』
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この場面で彗星の名前が3つ出てきました。ジョンソン彗星とPANSTARRS彗星、タットル・ジャコビニ・クレサーク彗星です。


「ジョンソン彗星」や「PANSTARRS彗星」という名前を持つ彗星は複数あるのですが、「タットル・ジャコビニ・クレサーク彗星」といえば、周期彗星*3である「41P/タットル・ジャコビニ・クレサーク彗星」*4しかありません。


41P/タットル・ジャコビニ・クレサーク彗星は、5.42年かけて太陽の周りを回る彗星で、もっとも最近に太陽に近づいたのは2017年4月のこと。この年はPANSTARRS彗星(C/2015 ER61)が5月に、ジョンソン彗星(C/2015 V2)が6月に太陽に近づいているので、ここからも作品の舞台が2017年であることが確認できます。


なお、上で彗星の名前の後ろに(C/2015 V2)などと書きましたが、これは彗星に付けられる符号で、「C/」は発見されたばかりの彗星または非周期彗星であることを、続く数字は発見された年号を、次のアルファベットはその年のいつ発見されたかを、1月前半が「A」、後半が「B」といった具合に示し*5、最後の数字はその期間中に見つかった何番目の彗星かを示します。C/2015 V2の場合、「2015年11月前半(V)に見つかった2つ目の彗星」という意味になります。


C/2015 ER61の場合は、発見時は小惑星として見つかったので、符号の付け方が小惑星流になっています。年号と月の前後半を表すところまでは彗星と同じですが、その期間中に見つかった天体には、数字ではなくアルファベットで順にA, B, C……と振っていき*6、Zまで達したら、アルファベットに添え字をつけてA1, B1……というように名付けていきます。C/2015 ER61の場合、「2015年3月上旬(E)に見つかった1542番目*7の天体」という意味になります。



さて、この場面で、あおは「ジョンソン彗星が5等級まで明るくなる」と言っています。ところが、実はここがちょっと厄介なところで、2017年の5月時点ではすでに「せいぜい7~8等級どまりではないか?」という予想が出ていたのです。



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このグラフは、ジョンソン彗星の光度を表したものです。横軸が日時、縦軸が明るさになっていて、黒い点1つ1つが実際に観測された明るさになります。


研究者たちは、こうした測定データをもとに彗星の明るさを予測するのですが、実際の彗星はなかなか思った通りのふるまいをしてくれず、予測が外れるのはよくあることです。


この彗星の場合、2016年夏頃までは順調に明るくなってきていて、で示したようなカーブを描いて明るくなるものと予想されていました。ところが、年末が近づくにつれて明るさは伸び悩み、年が明けても明るくなるペースが戻らないことから、遅くとも3月ごろには、青い線で示すように「最大でも7~8等級にしかならないだろう」という予想がほぼ確定していたのです*8


では、あおがなぜ「5等級」などということを言ったのかですが……あおが見ている本をもう1度よく見てください。



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「アストロガイド 星空年鑑 2017」です。この本は2017年に見られる天文現象などをまとめたもので、2016年11月30日に発売されています。原稿の締め切りを考えると、彗星の光度予測はおそらく2016年9月ごろのものを使っているはずで、だとすると「5等級まで明るくなる」という予測がまだ生きていた頃です。つまり、彼女の言っていたことは決して間違いではないわけです。


とはいえ、彗星の光度予測は水物で、実際に近づいてきてみないとどのくらい明るくなるか分からないことが多いです。その意味で、地学部員たるもの、なるべく最新の情報を手に入れるべきだったとは言えるでしょう。



次いで、「5等級」と聞いて「望遠鏡で見える?」と返したみらの反応ですが、これはまったく正しいです。5等という数字だけ聞くと肉眼でも見えそうな気がしてしまうのですが、彗星というものは普通の星と違ってボウッと広がっています。彗星の「等級」は、いわばこのボウッと広がった光を1点に集めた場合の明るさなので、5等だと肉眼ではまず見えません。ましてや、舞台のモデルが川越という光害地なのを考えると絶望的です。


しかし逆に、望遠鏡を使えば比較的楽に捉えられそうな明るさで、彗星があまり大きく広がっていなければ双眼鏡でも十分行けそうです*9



あと、「タットル・ジャコビニ・クレサーク彗星」の名前を「長すぎ!」と笑ったみらですが、彗星の名前は、その彗星を発見した人の名前が先着順で3名まで付けられることになっています。なので、名前の長い人が見つけた場合などは、舌を噛みそうな名前になることもよくあります。有名どころだと、45P/本田・ムルコス・パジュサコバ彗星(本田・ムルコス・パイドゥシャーコヴァー彗星とも)や57P/デュトワ・ネウイミン・デルポルト彗星あたりは結構長いです*10。もっとも、最近はLINEARのような自動全天捜索プロジェクトが発見する彗星が圧倒的に多くて、人の名前が彗星につくことは減ってきています*11。無味乾燥な感じがして、ちょっと残念なところです。




※ 本ページでは比較研究目的で作中画像を使用していますが、作中画像の著作権は©Quro・芳文社/星咲高校地学部に帰属しています。彗星の光度データはComet Observation Databaseから取得しました。光度グラフはComet for Windowsで作成しました。

*1:5月中旬~下旬の10時半ごろの南空かと。さそり座の東側には土星が見えています。

*2:南の空にはさそり座のアンタレスを挟んだ三ツ星(アルニヤト-アンタレス-パイカウハレ)が、西側の窓からは木星が見えていました。

*3:楕円軌道を描いて太陽の周りを回っている彗星のこと。

*4:周期彗星の名前は、頭に「P/」を付けて表しますが、公転周期が200年以下、または2回以上太陽の近くに戻ってきて、それぞれが観測された彗星については登録番号が与えられ、「P/」の前にこの番号を付けて表します。

*5:ただし、「1」や「J」と紛らわしいので、「I」は使わない決まりです。

*6:「I」を使わないのは彗星と同様です。

*7:25×61+17

*8:このように「太陽に接近しても思ったほど明るくならない」というのは、初めて太陽に近づく彗星でよく見られるパターンです。このジョンソン彗星も初めて太陽に近づく彗星でした。

*9:ただ、おそらくはボヤ~っとした光芒がうっすら見えるだけで、見て面白いかどうかは別問題。

*10:念のための注意。彗星の名前の日本語表記についてですが、残念ながら「各人の現地語読みでないと絶対認めない」という原理主義的な言動をされる方が一部におられるようです。しかしながら、そもそも外国語の音を日本語に変換した時点で不正確にならざるを得ませんし、英語が事実上の世界標準語となっている現在、英語読みすら一切認めないというような極端な主張には賛同できません。

*11:一般には、自動全天捜索プロジェクトが新彗星を発見した場合、プロジェクト名が彗星の名前になります。