先日、Lambdaさんが上げたこの記事を読んで、ふと思い出したことがあったので、とあるアマチュア天文家についてつらつらと。
なお、Lambdaさんは「先人に想う」と題して、過去の優秀な天文学者に焦点を当てて記事を書かれているので、おそらくネタ被りにはならないはず……(^^;
さて、上記の記事にもあるとおり、1600年代には、ガリレオ・ガリレイから始まってホイヘンスやヘヴェリウス、カッシーニなど、現在にも広くその名が知られている天文学者たちが、優秀な光学系を用いて精緻な惑星等のスケッチを残しています。しかしその一方、約130年前に自作の望遠鏡を用い、「ものすごい」惑星スケッチを残したアマチュア天文家がいました。
その名はアンドリュー・バークレイ(Andrew Barclay, 1814-1900)。本業は蒸気機関車の製造で、彼の興した会社はつい最近まで存続していました(現在は他社に買収され、バークレイの名前は残っていません)。
どういう理由からかは分かりませんが、彼は1850年代から、事業で儲けた金を使い込んで(ぉぃ)天体望遠鏡作成に乗り出します*1。1856年からは王立天文学会の会員*2にもなっていますし、元々星に興味があったのかもしれません。
彼は口径9インチ(23cm)や口径14.5インチ(37cm)のグレゴリー式望遠鏡を自作しましたが、元々が蒸気機関車屋で器械には強かったでしょうし、豊富な資金(会社のだけど)もあったことから仕上がりは立派なものでした。
バークレイの製作した9インチグレゴリー式反射望遠鏡
(Engl Mech World Sci, 58 (Oct. 20, 1893): 198-200)
鏡は現在のようなガラス製ではなく、昔ながらのスペキュラム合金による金属鏡です。銀メッキしたガラスを用いた鏡は、作成の容易さと反射率の高さとで当時急速に普及していましたが、彼は金属鏡の方が精度を保てる上、数年ごとに再メッキが必要なガラス鏡に比べてメンテナンスも容易だと考えていたようです*3。
また、放物凹面主鏡と楕円凹面副鏡を用いるグレゴリー式は現在ほとんど見かけませんが、有名なニュートン式より一足早く考案された歴史ある形式で、過去においては比較的ポピュラーな光学系でした。とはいえ、19世紀末のシステムとしては、全体的にいささか古風な印象は否めません。
ともあれ、彼はこれらの望遠鏡を用いて惑星の観測を始め、その結果を"English Mechanic and World of Science"という一般向け科学雑誌に"The Unrevealed Wonders of The Heavens"というタイトルで1893年から発表しはじめます。
そこで発表した彼の木星のスケッチが……
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……?
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いや、これ大真面目です。彼は、この気持ち悪い卵状の凸凹を木星の表面に見たのです。ちなみに、カッシーニが木星表面に現在「カッシーニの斑点」と呼ばれる大赤斑類似の斑点を発見したのが1665年のことです。
カッシーニによる木星のスケッチ
Mem.Acad.r.Sci.Paris, T.10 (1730)
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……?
…………??
これももちろん大真面目です。曰く「火星にも土星のような白い輪があり、惑星本体と密着している。そして火星の南西部には薄青色で球形の山がある」とのこと。ちなみに、ジョヴァンニ・スキアパレッリが火星表面に暗い筋状の模様を認め、イタリア語で"canali"(溝、水路)と名付けたのが1877年のことですが、バークレイのスケッチには模様の1つも見当たりません。
スキアパレッリの火星図
Meyers Konversations-Lexikon (1888)
そして土星。
Engl Mech World Sci, 65 (Apr. 23, 1897): 218-220
Oh…… リンゴの芯のようなこの姿は……orz
土星についても、古くはホイヘンスによる精緻な観測記録が残っていますが、それは実に250年も前の1650年代のことです。
他にも「木星から褐色の煙が噴き出していた」*4とか「アルデバランには4つの、ベテルギウスには5つの伴星がある」*5など、およそ信じがたい報告が延々と続きます。
……大体もう、みなさん想像がついているとは思いますが、バークレイの作った望遠鏡は見かけこそ立派なものの、光学系は本当にどうしようもない粗悪品でした。しかも、メンテナンスも我流かつ適当なものだったようで「テレピン油とエタノールを1:1で混ぜたもの、あるいはブランデーやシェリー酒で鏡を軽く洗って、セーム皮で拭いて乾かせばきれいになる」*6みたいなことを書いています*7。
鏡や望遠鏡自体の精度もさることながら、火星像や伴星の報告などを見るに、おそらく迷光処理も相当雑で、ゴーストもかなり酷かったのではないでしょうか?所詮は半可通の素人工作だったということなのでしょう。
そしてなお悪いことに、バークレイは非常に頑固でした。
これらの投稿の前に、彼は論文を王立天文学会に持ち込んでいるのですが、「木星にそのような構造は存在しない」、「望遠鏡の光学系に何か問題があるのでは?」などと意見されて突き返され激怒。「自分の望遠鏡は、鏡の仕上げ方や合金の配分、鋳造方法などの実験に1万ポンド以上を費やし、2000回以上の実験を繰り返したもの。これまでにないほど高性能なので、今まで見えなかったものが見えているのだ」*8と強硬に主張しました。
"English Mechanic and World of Science"に奇妙なスケッチが掲載され始めると、読者からも全く同様に「光学系に異常があるのではないか」という指摘が殺到しましたが、彼は全く意に介さず、自信をもって同様の報告を続けます。
当然、読者からの意見は厳しくなる一方。バークレイと読者との間でギスギスしたやり取りが続いたのち、ついには王立天文学会の重鎮の1人*9がブチ切れ、誌上に"Mr. Barclay is not a Fellow of the Royal Astronomical Society"(バークレイ氏は王立天文学会の会員ではない。)と書かれてしまいます*10 *11。
実際、バークレイの名前は1896年6月までの王立天文学会の名簿に載っているそうですが、1898年の名簿には名前が見えない*12とのことなので、このあたりで除名処分にでもなったのかもしれません*13。
特にオチはありませんが、古今東西問わずトンデモさんはいるということです。あと、機器の調整は最低限ちゃんとやっておきましょう(^^;
*1:このせいもあって、会社は1874年と1882年の2度にわたって破産に追い込まれ、1893年にアンドリューはとうとう株主の手によって会社から解雇されました。が、それはまた別の話。
*2:Fellow of Royal Astronomical Society. (F.R.A.S.) 職業としての「天文学者」が成立する以前からの組織なので、18歳以上で学会が受け入れられる者であれば誰でも会員になれます。資格は不問です。
*3:実際には、スペキュラム合金の鏡はそもそもの反射率が大きく劣る上、酸化により反射率が低下するため、一定期間ごとに再研磨が必要です。そしてその作業は銀メッキよりはるかに面倒でした。もっとも、そもそも彼がちゃんと再研磨作業をやったかどうかは定かではありません。
*4:Engl Mech World Sci, 58 (Oct. 20, 1893): 198-200
*5:Engl Mech World Sci, 65 (Apr. 23, 1897): 218-220
*6:Engl Mech World Sci, 58 (Oct. 20, 1893): 198-200
*7:読者からは「そもそもテレピン油とエタノールが混じり合わない上、テレピン油やブランデー、シェリー酒で鏡を洗うと表面に頑固なフィルムができてしまう。これを取るために強くこすると鏡に良くない」と指摘されています。
*8:Engl Mech World Sci, 58 (Oct. 20, 1893): 198-200
*9:Captain William Noble. "Letters to the editor"にいつも寄稿していました。
*10:"Letters to the editor" Engl Mech World Sci, 65 (May 21, 1897): 314-5
*11:彼は記事の署名にいつも"F.R.A.S."(Fellow of Royal Astronomical Society, 王立天文学会会員)と付けていたので、その点もまともな学会員から強い怒りを呼んでいたようです。
*12:http://www.resologist.net/lands105.htm なお、このページの注では、バークレイが名簿から外れた理由に彼の死を上げていますが、バークレイが死去したのは1900年なので辻褄が合いません。
*13:バークレイは1900年には亡くなっているので、単に体調面等の問題の可能性はあります。