映画「この世界の片隅に」などで有名な片渕須直監督の最新作、「つるばみ色のなぎ子たち」のパイロットフィルムが昨日公開となりました。
「枕草子が書かれた千年前の京都を舞台に、清少納言が生きた日々を描く」とのことで、片渕監督ならではの丁寧な時代考証を元にリアルな平安絵巻が展開されていきます。いまだパイロットフィルムの段階でありながら、その出来は実に見事で完成が楽しみです。
ところで、このパイロットフィルムにおいて、いくつか天文現象が写っていたのにお気づきでしょうか?「この世界の片隅に」でも、「やりすぎ」ともいえるほどの考証を重ねてきた片渕監督のこと、その再現性が気になるところです。
……というわけで(?)、当時の天文現象を確認してみたいと思います。ただ、パイロットフィルムという性質上、前後関係が不明な部分も多く、必ずしも特定しきれない部分があるのはご容赦ください。なお、シミュレーションにはステラナビゲータ 12.0c(アストロアーツ)を用いました*1。また、日食の経路図はEmapWinを用いて作成しました。
日付は史料中の表記などを除き、ユリウス暦を用いています。
部分日食


まず最初は、1分35秒付近からのカット。子供たちが部分日食を見上げています。
この映画の舞台は、清少納言が生きた時代の京都であることが明言されています。清少納言が生きたのは西暦966年頃~1025年頃と言われているので、その間にあった日食でそれらしいものを探してみると……974年2月25日の部分日食が該当しそうです。

この日食が最大に達したのは8時40分ごろ。食分は京都で0.27でした。時間帯としては決して早くありませんが、冬なので太陽の高度はあまり上がっておらず、日食を見る子供たちの目線もやや低めです。このあたりの再現はさすがですね。
部分月食 or 部分日食

次は1分43秒ごろからの部分月食 or 部分日食のカット。こちらは、月の模様が見えないことから「そもそも本当に月食か?」という疑いがなくもないのですが、ここはひとまず月食として話を進めましょう。
こちらは特定が比較的難しいです。というのも、日食に比べると月食は回数が多いからです。調べてみると、欠け方が該当しそうなものだけでも969年11月27日の皆既月食前、974年9月4日の半影月食、986年6月24~25日の部分月食、998年11月7日の皆既月食前、1001年9月5日の部分月食、1003年2月20日の部分月食、1023年12月30日の皆既月食前……と、かなりの数があります。
しかし、アニメのカットを見る限り、月の高度はそれほど高くはなさそうです。となると、最も怪しいのは986年6月24~25日の部分月食です。

図はこの部分月食の途中、25日0時*2のものですが、この時の月の高度は30度ほど。カットの描写とまずまず一致しそうな気がします。

974年9月4日22時12分
998年11月7日3時10分
次点は974年9月4日の半影月食と998年11月7日の皆既月食前ですが、前者は高度41.5度、後者はカットのような食分になった時の高度が約40度とやや高いのが難点です。さらに前者については、半影月食のような地味な現象にわざわざカットを割くか?という疑問もあります。

一方、これが日食だとすると、991年3月19日の部分日食が近いものになります。この日食が最大になるのは8時3分ごろ、食分は0.32です。高度も25度ほどと低く、かなり状況に合致しているように思えます。
(ほぼ)皆既月食

1分47秒ごろからの(ほぼ)皆既月食*3のカットです。こちらはかなり候補が絞れます。欠ける方向からすると、977年7月4日、998年11月7日、1005年6月25日、1023年12月30日の4つが候補になります。

977年7月4日0時
998年11月7日4時
1005年6月25日0時20分
1023年12月30日4時10分
ところが、ここで難点が2つ。1つは、背景の星がいずれの場合も一致しないこと。

カットの明るさを調整してみると、背景にかなりの数の星が描き込まれているのが分かりますが、これがどうにも月食時の星図と一致しないのです。片渕監督の考証力を考えれば、星空も正確であることを期待したいところですが……。

973年3月22日1時43分
上記候補からは外れますが、973年3月22日の皆既月食は背景の星がかなり近いです。とはいえ、あくまでも「雰囲気が近い」だけで完全一致というわけではないですし、なにより欠ける方向が一致せず*4、決め手に欠けます。
そして難点の2つ目は月面の模様です。

月面をよく見ると、いわゆる「月のうさぎ」がほぼ立った姿勢(「うさぎ」の頭に相当する「静かの海」が上にある)でいるのが分かります。実は、月がこの姿勢でいるのは東の空から昇り始めたときだけなのです。

昇ってきたとき、南中時、沈むときの月の模様
地上から見ていると、月の模様は高度を上げるとともに回転し、南中する頃には「うさぎ」は横倒しに、沈むときにはほぼ逆立ちする格好になっています。
となると、カットの月食は少なくとも宵のうちに起こったことになりますが……宵のうちに起こった(ほぼ)皆既月食というと980年10月24日の皆既月食(食の最大:20時8分ごろ)、994年7月25日の皆既月食(食の最大:19時21分ごろ)*5、1005年12月18日の皆既月食(食の最大:20時55分ごろ)、1008年10月17日の部分月食(食の最大:19時51分ごろ、食分0.88)の4つしかありません。そして、そのいずれもが、欠ける方向がカットとは一致しないのです。
彗星

1分49秒ごろから、画面に彗星が現れます。これはおそらく989年に現れたハレー彗星でしょう。
永祚元年六月一日庚戌、其日彗星見東西天。七月中旬、通夜彗星見東西天
という観測記録が残っています(永祚元年六月一日は989年7月6日に相当)。ちなみにこの年は元々「永延三年」だったのですが、凶兆とされる彗星の出現もあって*6「永祚元年」に改元されています。


日出90分前および日没90分後のハレー彗星の位置、見え方
この回帰でのハレー彗星は観測条件が比較的良く、はじめは明け方の空に、その後は夕方の空に回りマイナス等級に達するであろう雄大な姿を見せてくれていたはずです。

さて、少々見づらいのでカットの明るさを調整してみると、木立の間から彗星を見ているのが分かります。彗星の尾は右側に流れているので、観測しているのは7月上旬の明け方か、8月下旬の夕方。しかし7月上旬は彗星が暗い(4~5等程度)上、比較的近くに目立つ金星がありましたから、尾の角度からすると8月下旬、特に8月21日~24日の可能性が高いでしょうか。

ところが、ここでまた背景の星が合いません。彗星の下側には半円を描く特徴的な星の配列が見えますが、残念ながら7月~8月にかけて彗星が通過した周辺にそうした配列は見当たりませんし、また、8月下旬なら、彗星はかみのけ座の散開星団Mel 111を突っ切るように動いているはずですが、それに類する星も見当たりません。
というわけで、残念ながらここも正確な日付を割り出すには至りませんでした。
皆既日食

そして1分55秒ごろからが皆既日食のカット。おそらく天変地異のハイライトの1つです。

これは同定が簡単。975年8月10日の皆既日食で間違いありません。京都では7時55分前後に食の最大を迎えました。

この日食は、日本の首都で見られた史上初の皆既日食で、日本の広い範囲で見られた大事件でした。
先に出てきた「日本紀略」にも
天延三年七月一日辛未、日有蝕。十五分之十一、或云皆既。卯辰刻皆虧。如墨色無光。群鳥飛亂、衆星盡見。詔書大赦天下。大辟以下常赦所不免者咸赦除。依日蝕之變也。(天延三年七月一日辛未 [975年8月10日] 、日に蝕有り。十五分の十一、或は皆既と云う。卯辰の刻 [午前7時ごろ] に皆虧く。墨色の如くにて光無し。群鳥飛亂し、衆星盡く見る。詔書して天下に大赦す。大辟以下常には赦す所を免れざるもの咸く赦除す。日蝕の變に依りて也。)
と記載があります。空は墨のように暗くなって、鳥の群れが乱れ飛び、多くの星(衆星)も見えたということで、当時の人にとっては恐怖以外の何物でもなかったでしょう。日食にひどく驚いた朝廷は天下に大赦を発布し、通常は対象にならない死罪人にまで減刑を行っています。さらに、天延三年七月十三日には「天延」から「貞元」に改元しています。

なお、多くの星が見えたということですが、この時の太陽の位置からすると、明るい星の多い冬の星座が空高くにある頃で、惑星に加えてそれなりの数の星が見えそうです。
……と、こんなところでしょうか。
さしもの片渕監督も天文は専門外だったらしく、考証が追い付いていない感じの所がいくつか見られました。とはいえ、こんなところをほじくり返すのは、多分「恋アス」で鍛えられたマニアくらいのものでしょう(笑)
しかも完成まではまだまだ長いですし、リテイクが入る可能性も十分あります。
映像は文句なく美しく、一方で醜いところからも目を背けない、徹底したリアリズムも感じられます。良作になるのはほぼ間違いなく、何年後になるかは分かりませんが、完成の日を楽しみに待ちたいと思います。
※ 本ページでは比較研究目的で作中画像を使用していますが、作中画像の著作権は©つるばみ色のなぎ子たち製作委員会/クロブルエに帰属しています。