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皆既中の明るさについて

今回の皆既月食ですが、Twitter上などを見てみると、皆既中の月の明るさが暗かったと感じた人が多かったようです。実際、自分も肉眼で見上げてみると、過去の月食に比べてやや暗いような印象を受けました。


皆既中の月の色を評価する基準としては、フランスの天文学者ダンジョンが提唱した「ダンジョン・スケール」があります(Danjon, M.A. (1920) Sur une relation entre l'éclairement de la Lune éclipsée et l'activité solaire. C R Hebd Seances Acad Sci, 171, 1127-1129)。
gallica.bnf.fr


尺度月面の様子
0非情に暗い食。月のとりわけ中心部は、ほぼ見えない。
1灰色か褐色がかった暗い食。月の細部を判別するのは難しい。
2赤もしくは赤茶けた暗い食。たいていの場合、影の中心に一つの非常に暗い斑点を伴う。外縁部は非常に明るい。
3赤いレンガ色の食。影は、多くの場合、非常に明るいグレーもしくは黄色の部位によって縁取りされている。
4赤銅色かオレンジ色の非常に明るい食。外縁部は青みがかって大変明るい。

尺度としては定性的ですが、誰もが肉眼で直感的に判断可能なので現在でもよく使われています。この尺度で行くと、今回の月食は「1」に近かったような気がします。「1寄りの2」くらいでしょうか?



しかし、実際のところ、皆既中の明るさはどの程度だったのでしょう?過去のデータを漁ってみたところ、2018年1月31日の皆既月食のデータが出てきました。




この時の月食は22時30分に食の最大を迎え、食分は1.32。月の高度は東京で約63度でした。今回の月食は食の最大が19時59分。食分は1.36と2018年の月食に近いです。月の高度は東京で約40度と、2018年の月食より低いものでした。


そして2018年に撮影した食分最大時の月と今回の月とを比べてみた結果がこちら。




【左写真】2018年1月30日22時30分12秒 ED103S+SDフラットナーHD(D103mm, f811mm) SXP赤道儀
Canon EOS Kiss X5, ISO200, 露出4秒
【右写真】2022年11月8日20時00分4秒 ED103S+SDフラットナーHD(D103mm, f811mm) SXP赤道儀
Canon EOS Kiss X5, ISO1600, 露出0.5秒

光学系とカメラは同じで、画像仕上げも同じ。感度とシャッタスピードが違いますが、ISO200, 4秒とISO1600, 0.5秒なので、ほぼ同じ条件とみていいと思います*1


こうして見ると、今回の月食の方が明らかに鮮やかさに欠け、明るさもわずかに暗いように感じます。皆既中の月が暗いように感じたのは、あながち間違いというわけでもなさそうです。


では、なぜこうも色や明るさが違うのでしょうか?


2018年と今回の月食とで違うのは、まずは月の高度。天体の高度が低いと、天体からの光は大気層をより長く通過することになり、明るさが落ちます。しかし、高度が60度から40度に下がっても下がり幅はせいぜい0.1等くらいで、影響はほとんどありません。


次に食分。地球の影は中心の方がより暗いので、深い食の方が暗くなりやすい傾向があります。食分は確かに今回の方が大きいですが、その差はわずか0.04しかなく、明るさに大きな影響を与えるほどではなさそうです。



となると、影響がありそうな要因としてあと思いつくのは「火山噴火の影響」です。


火山の大噴火で噴煙が成層圏にまで巻き上げられると、火山灰や、火山ガスから生成されるエアロゾルが大気中に長くとどまり、太陽の光を遮る効果を発揮します。皆既中は地球大気を通り抜けてきた太陽光によって月が照らされていますから、この光が減れば自ずと皆既中の明るさも暗くなります。


過去を紐解いてみると、先に挙げたダンジョンの論文中の記述によれば、1883年のクラカタウ(インドネシア)の噴火の影響で1884年10月4日の皆既月食はかなり暗かったようですし、1982年12月30日の皆既月食は1982年3~4月に起こったエルチチョン(メキシコ)の噴火の影響で。ほぼ真っ暗でした。1993年6月4日の皆既月食も、1991年6月のピナトゥボ山(フィリピン)の噴火の影響が残っていて、ダンジョンスケールで「1」相当の暗さでした*2


今回の場合ですが、今年の1月にフンガ・トンガ=フンガ・ハアパイ(トンガ)で大噴火があったのは記憶に新しいところ。その噴煙は高度35~55kmにまで達した可能性があります。その他にも3月にマナム火山(パプアニューギニア)、5月にベズィミアニィ火山(ロシア・カムチャッカ半島)と噴火があり、いずれも噴煙が高度1万5000メートル以上に達しています。


特に、フンガ・トンガ=フンガ・ハアパイの噴火は、火山爆発指数(VEI)で言うとVEI-5に相当すると言われていて、これは1982年のエルチチョンと同レベルです。これらが月食の明るさに影響を与えた可能性はあるでしょう。


ただ一方で、噴火規模の割には月が明るかった(1982年のようにはならなかった)とも言えますし、噴火の影響なら逆に赤みが増すのでは?*3といった疑問もあり、結論はなんとも言えない所があります*4。皆既の色ひとつをとっても不思議ことはまだまだ多いなぁ、というのが正直な印象です。

*1:感度は8倍、シャッタースピードは1/8なので、計算上は同等です。

*2:https://naojcamp.nao.ac.jp/phenomena/201801-lunar-eclipse/color.html

*3:「ピナトゥボ山の噴火の後、夕日がやたら赤くなった」というのと同じ理由。実際に月食がそんなに赤くなるのかどうかは分からないけど。

*4:フンガ・トンガ=フンガ・ハアパイの噴火では、光を散乱させるエアロゾルとなる二酸化硫黄の噴出量が、ピナトゥボ山噴火の1/40~1/50程度しかなかったという話もあり、これが色や明るさの変化の小ささに影響している可能性もあります。