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M102の謎

先日撮影したM102に関連して、ちょっと面白い話があるので、以下よもやま話として。
hpn.hatenablog.com




天文ファンにはおなじみの、星雲・星団のカタログ「メシエカタログ」は、フランスの天文学者であるシャルル・メシエ(1730~1817)によって編纂されたカタログです。



Charles Messier (1730 - 1817)

コメットハンターでもあったメシエは、彗星の観測中に、彗星と紛らわしい光のシミが空にあることに気づきました。そこで、こうした「光のシミ」こと星雲・星団をあらかじめカタログ化し、彗星と簡単に見分けられるようにしたのがメシエカタログの始まりです。


メシエカタログは1774年から1784年にかけて3回に分けて刊行され、M104以降はメシエの生前の記録に基づき、後世の天文学者によって追加されています。


カタログに収載されたいわゆる「メシエ天体」は、小望遠鏡でも簡単に観望・撮影できるものが多く、250年ほどたった現在でもアマチュア天文家を楽しませてくれています。


行方不明のメシエ天体


メシエは几帳面なたちで*1、カタログの記載もほぼ正確なのですが、収載されている全110個の天体の中には記載されている場所に該当する天体がなく、行方不明になってしまっている天体がいくつかあります。それが以下の5つです。

  • M40
  • M47
  • M48
  • M91
  • M102



M40はただの二重星で、メシエの記録した位置自体はほぼ正確だったのですが、どれがその星に該当するのか、長らく特定できませんでした。1966年、ジョン・マラスにより、二重星ウィネッケ4 (WNC4) がそれであると同定されました。




M46(左)とM47(右)

M47はとも座にある明るい散開星団で、M46と隣接しています。




メシエはこのM47の位置を記録する際、「とも座2番星」(当時のアルゴ座2番星)を基準として計算したのですが……この時にプラスとマイナスの符号を間違えるというミスを犯し、結果として記録した位置には天体がないという事態になりました。M47が同定されたのは1959年、カナダのT. F. モリスによってです。




M48はうみへび座にある散開星団です。




こちらも座標を記録する際、M47と同様に何らかの計算ミスを犯したためか、メシエの記録した位置に該当する天体はありませんでした。1959年、M47と同様モリスにより、西側にある三角形の星の並びなどをヒントに、カタログ位置の3~4度ほど南にあるNGC2548がM48であると同定されました。




M88(右)、M91(中央)、NGC4571(左)

M91は銀河密集地帯であるおとめ座にある系外銀河です。これを発見した夜、メシエは実に8つの銀河と1つの球状星団を発見しているのですが、M91は発見した8個の銀河のうちで最後に記録されました。ところが、メシエがM91の位置を記録した際、M58を基準に計算したつもりが誤ってM89を基準にしてしまったため、該当する位置に銀河がなく、長らく「失われた銀河」となっていました。




そのため「M91」については、メシエが銀河と間違えて彗星を記録した、M58を重複してカウントしてしまった、あるいはNGC4571(11.2等)がM91であるといった説がまことしやかに流れていたのですが、1969年にテキサス州フォートワースのアマチュア天文家ウィリアム・C・ウィリアムズが、この基準位置の誤りに気付き、ウィリアム・ハーシェルが独立に発見していた棒渦巻銀河NGC4548(10.1等)がM91であることが明らかとなりました。




NGC5866 = M102 ?

……と、ここまではほぼ異論なく同定されてきたのですが、難しいのがM102です。記述が比較的乏しい上に、あとからメシエの共同研究者であるピエール・メシャン(1744~1804)がこの「発見」を撤回しているためです。それでも、現在ではNGC5866がM102だろうというのがほぼ共通認識となってきています。



Pierre François André Méchain (1744 - 1804)


ちょうどこの問題について、2015年9月号の"Sky & Telescope"誌にMichael A. Covington氏による論説が載っていたので、これも参考にしつつ、M102の同定について深掘りしてみます。なお、以下の文中で出てくる赤経赤緯は基本的に1781年当時の視位置*2です。


M102の謎


まず調べるべきは、オリジナルのメシエカタログでM102がどのように記述されていたかです。


M103までが収載されたメシエカタログは、1784年発行のの"Connoissance des temps"*3に掲載されています。




https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k6514280n/f274.item
https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k6514280n/f275.item

ここのページの記述を書き下ろしてみます。


Par M. Méchain, que M. Messier n'a pas encore vue.

Date des observations: 1781, Mars 27


Numéros des Nébuleuses: 101.

Ascension droite: (En Temps.) 13h 43m 28s, (En Degrés.) 208° 52′ 4″
Declination: 55° 24′ 25″

Détails des Nébuleuses & des amas d'Étoiles:
Les positions sont rapportées ci-contre.

Nébuleuse sans étoile, très-obscure & fort large, de 6 à 7 minutes de diamètre, entre la main gauche du Bouvier & la queue de la grande Ourse. On a peine à la distinguer en éclairant les fils.


Numéros des Nébuleuses: 102.

Détails des Nébuleuses & des amas d'Étoiles:
Nébuleuse entre les étoiles ο du Bouvier & ι du Dragon: elle est très-foible; près d’elle est une étoile de la sixième grandeur.


Numéros des Nébuleuses: 103.

Détails des Nébuleuses & des amas d'Étoiles:
Amas d'étoiles entre ε & δ de la jambe de Cassiopée.


【訳】
メシャン氏による、メシエ氏がまだ見ていない [天体]

観測日:1781年3月27日


星雲番号:101

赤経:(時分秒)13h 43m 28s (度分秒)208° 52′ 4″
赤緯:55° 24′ 25″

星雲・星団の詳細(位置は反対側のページに)*4
星のない星雲で、うしかい座の左手とおおぐま座の尾の間にあり、非常に不明瞭で直径6〜7分角とやや大きい。マイクロメーターのワイヤーが照らされていると判別が難しい。


星雲番号:102

星雲・星団の詳細:
うしかい座ο(オミクロン)星とりゅう座ι(イオタ)星の間の星雲:非常に暗い。近くには6等星がある。


星雲番号:103

星雲・星団の詳細:
カシオペア座の足の間、ε(イプシロン)星とδ(デルタ)星との間にある星団


ここで、M101は座標がはっきり示されていますし、M103も位置が明確です*5。ところが、M102については座標の情報がない上、そもそも詳細情報に問題があります。


それはうしかい座ο星りゅう座ι星の間」という部分。「うしかい座ο星」は確かに存在するのですが、もうひとつの位置の目安であるりゅう座ι星」からはあまりに遠く離れているのです。



りゅう座ι星は星図の北端、うしかい座ο星は南端付近)


現在では、この「ο星」は「θ(シータ)星」の誤植*6だろうと考えられています。これなら「りゅう座ι星」との距離が近いですし、「うしかい座θ星」との間に名前の付いた星がなく、説明の辻褄が合います。


ということは、「うしかい座θ星」と「りゅう座ι星」の間にM102があるのだな……というのが当然の判断です。そして、この位置にあってメシエたちの観測機材で観測できた天体というと、NGC5866くらいしかありません。


NGC5866の明るさは9.9等で、7.9等のM101と比べても数字上ではかなり暗いです。しかし、平方分当たりの平均光度で比べると13.0等 対 14.6等*7で、むしろNGC5866の方が明るくなります。単位面積当たりの明るさが明るいということは、眼視でより捉えやすいということです。また、写真のイメージではM101とNGC5866は大きく違いますが、眼視では銀河の中心付近しか見えないため、メシエたちの機材では似たような姿に見えたことでしょう。



M101


さらに「近くには6等星がある」という記述も要注目です。ここで書かれた「6等星」が実際に何等の星を指しているのかは議論の余地がありますが、NGC5866の近くにはHD134023(7.7等)、HD133666(6.9等)、HD133109(7.2等)といった候補があり、同定を後押しします(さらに南に離れたところには、HD134190という5.3等の星もあります)。



(Digitized Sky Surveyのデータより)


こうしたことから、NGC5866 = M102とすることに問題はないように思えますが……ここで話をややこしくするのが、共同研究者であるピエール・メシャンによる「M102発見の撤回」です。


M102発見の撤回


1783年、メシャンは"Nouveaux Mémoires de l'Académie Royale des Sciences et Belles-Lettres"*8の編集者であるベルヌーイ*9宛に手紙をしたため、これが同年発行の同誌に掲載されます。メシャンはここで「M102の発見は間違いで、M101の重複観測だった」と発見を撤回したのです。



https://digital-beta.staatsbibliothek-berlin.de/werkansicht?PPN=PPN1012162370&PHYSID=PHYS_0054&DMDID=DMDLOG_0001


J'ajouterai feulement que No. 101. & 102. à la p. 267. Connoissance des tems 1784. ne sont qu'une méme nébuleuse, qui a été prise pour deux, par une faute des cartes.


【訳】
1784年のConnoissance des temsの267ページにあるNo. 101と102は同じ星雲であるが、星図の間違いにより2つの星雲と間違われていることを付記しておく。


この手紙はヨハン・ボーデ*10の手によってドイツ語に翻訳され、1783年発行の"Astronomisches Jahrbuch für das Jahr 1786"*11にも掲載されています*12



https://pbc.gda.pl/dlibra/publication/31435/edition/26124/content


Seite 267 der Connoissance des tems f. 1784 zeigt Herr Messier unter No. 102 einen Nebelfleck an, den ich zwischen ο Bootes und ι Drachen entdeckt habe; dies ist aber ein Fehler. Dieser Nebelfleck ist mit dem vorhergehenden No. 101 ein und derselbe. Herr Messier hat durch einen Fehler in den Himmelscharten veranlasst, denselben nach dem ihm mitgetheilten Verzeichnisse meiner Nebelsterne verwechselt.

【訳】
1784年のConnoissance des temsの267ページで、メシエ氏はNo. 102として、私がうしかい座ο星(訳注:「θ星」の間違い)とりゅう座ι星の間に発見したと思われる星雲を示しているが、これは誤りである。この星雲は先のNo. 101と同じものである。星図に誤りがあったため、メシエ氏と共有した私の星雲リストにおいて混同が発生している。


ただ、これらの手紙では、具体的に何をどう間違ったのかが不明確です。メシエカタログの元々の投稿先である"Connoissance des temps"に訂正記事を出していないあたり、メシャンも自身の観測ないし報告に自信がなかったのでしょう。



では、何が起こったと考えられるでしょうか?


ひとつの可能性としては、メシャンが(それと知らずに)2度目にM101を観測した際、うしかい座θ星との相対的な位置を測定 → 星図にプロットするときに(M47でメシエがやったのと同様に)プラスマイナスを取り違え、誤った位置に天体を記録したというパターンです。この「誤った位置」はまさに「うしかい座θ星」と「りゅう座ι星」の間に当たり、辻褄は合います(下図)。で、後日このミスに気付いて撤回した……という筋書きです。この場合、要するに「メシャンは本当に、M102に相当する天体を見ていなかった」ということになります。




ただこうした手順を踏んだのなら、座標は間違いなく1度は計算・記録されているはずで、"Connoissance des temps"での報告中に座標の話がまったくないのは少々腑に落ちません。また、そもそもM101の近くには観測記録にあるような「6等星」に該当する星はなく、このことは「M102 ≠ M101」の説得力を強めます。



ここで気になるのは、メシャンが手紙の中で星図に誤りがあった」と主張している点です。


メシエやメシャンが具体的にどのような星図を作業に使用していたのかは明らかではありませんが、彗星経路図を独自に作成していたことを考えると、おそらくは星図も独自のものではなかったかと思われます。ここでもし、星図上の赤経目盛が1時間ずれていて、「15h」が「14h」と表記されていたらどうでしょう?


例えば、メシャンがNGC 5866を見たがその位置を測定せず、「うしかい座θ星とりゅう座ι星の間にあり、6等星の近くにある」とだけ記録。その後、彼またはメシエは、「15hが誤って14hと表記された星図」において、おおよその該当位置をプロットします。ところが、この星図上で大まかな座標を「誤った目盛」を頼りに読み取ると、その数字(赤経 14h00m32s 赤緯 +56゚36'22")は運が悪いことにM101のそれ(赤経 13h55m29s 赤緯 +55゚24'07")にかなり近くなってしまいます(下図)。そのため、メシャンはM102を「誤ってM101を再観測してしまったもの」と結論してしまったというわけです。こういうのを後から見返すと、えてして「間違った星図に間違って書いた」のか「間違った星図に正しく書いたのか」分からなくなってしまうものですし……。



(「間違った星図」に書かれた天体の座標を読み取って、「正しい星図」にプロットした場合)


ということは、メシャンの「撤回」はやはり誤りということになりそうですが……障害はまだもう1つあります。


メシエの手書きメモ


実は、M102の位置について、メシエが手書きのメモを残しているのです。その位置は赤経14時40分、赤緯56°ですが……該当する位置にやはり天体は存在しません。




これについては、SEDS Messier Databaseの主宰であるHartmut Frommert氏が興味深い説を提示しています。曰く、「メシエはNGC5866を観測したが、星図にプロットする際に5度ずれた位置にプロットしてしまった」というのです。




https://stars.lindahall.org/mes_.htm

メシエが彗星の経路を記入した星図には、上のように5度刻みにグリッドが引かれているものがあります。もし、星雲の位置を記入するのに用いた星図にも同様のグリッドが引かれていた場合、5度間違えて記入してしまうのはありえない話ではありません。


実際、NGC5866の本来の位置から5度西にずれた位置をプロットしてみると、メシエが記録した位置にかなり近くなります。




これに対し、"Sky & Telescope"誌に寄稿したMichael A. Covington氏は、もっと単純な説を唱えています。メシャンが「M102」について「うしかい座θ星とりゅう座ι星の間にある」ということ以上の情報を記録していなかった場合、メシエはとりあえず星図上で「うしかい座θ星」と「りゅう座ι星」のおおよそ真ん中辺に印をつけ、その座標を読み取って記録しただろうというのです。あとから自分で確認するつもりなら、どうせ付近一帯を探すのでしょうし、これでも十分でしょう。


これなら星図上での誤りを何度も想定しなくていいですし、「M102発見の撤回」で登場した「1h刻みの星図」と別に、「5度刻みの星図」を登場させる必要もありません。座標の精度が粗いのも、ざっくり印をつけたのだとすれば納得です。個人的には、こちらの方がいかにもありそうな気がします。



このほか、M102の候補として挙がったことがあるものとしては、NGC5879(11.4等)、NGC5907(10.4等)、NGC5908(12.0等)があります。しかし、いずれもNGC5866(9.9等)より暗く、「NGC5866を見逃がした上で、わざわざこれらをカタログに載せる」というのはなかなか考えにくいです。



(Digitized Sky Surveyのデータより)


極端な説としては、「『りゅう座ι星』というのは『へび座ι星』の間違いで、『うしかい座ο星』と『へび座ι星』の間にあるNGC5928こそがM102だ」*13というのもありますが、NGC5928は2.2分×1.6分と小さい上に約12.5等とさらに暗く、M102の候補としてはあまりに貧弱すぎます。そもそも「りゅう座」(属格形:Draconis)と「へび座」(属格形:Serpentis)を取り違えたというのも、表記が似ているならともかく、意味の類似だけではさすがに無理がありすぎて「珍説」の域を出ないでしょう。



へび座ι星は星図の南端付近東側)



NGC5866(左)とNGC5928(右)(同縮尺)
(Digitized Sky Surveyのデータより)


つまり、結論としてはこうです。

  • メシャンはたしかにM102に相当する天体を観測した。
  • 後日、おそらく星図のエラーにより、観測した天体がM101だと誤認。発見を撤回した。
  • しかし天体の明るさや近くの「6等星」の存在から、M102 = NGC5866と考えて矛盾はない。

これで、メシエ天体を安心して観望・撮影できそうです。

*1:最初にカタログを完成させる際、切りのいい数字にするためにただの二重星であるM40を加えたり、最初のカタログ出版時に、彗星と見間違える可能性のないM44(プレセぺ星団)やM45(プレアデス星団)を加えて45個に揃えたり、といったことまでやっていて、その神経質さが伺えます。

*2:赤経赤緯の基準となる春分点天の赤道の位置は、地球の歳差運動などによりわずかずつ移動していきます。現在私たちが用いているのは西暦2000年時点の赤経赤緯(J2000.0)です。

*3:直訳すれば"Knowledge of times"すなわち「時代の知識」。パリ天文台の天体力学・暦計算研究所(IMCCE)が1679年から発行している「理科年表」や「天文年鑑」のようなもの

*4:訳注:座標が手前のページに載っていることを示しています。

*5:別途、座標に関するメシエの手書きのメモも残っています。

*6:厳密なことを言えば、原稿の時点でそもそも間違っていたのか、"Connoissance des temps"の印刷の際に間違えたのかは分かりません。

*7:Revised NGC and IC Catalogより

*8:直訳すれば「王立科学・文学アカデミー新回想録」

*9:おそらくヨハンIII世 ベルヌーイ。「ベルヌーイの定理」で有名なダニエル・ベルヌーイは伯父にあたります。

*10:「ティティウス・ボーデの法則」で有名なあのボーデです。

*11:直訳すれば「天文年鑑 1786年版」。

*12:ただし、ドイツ語版には、フランス語の元の文面にはなかったメシエについての言及が付け加えられています。おそらくボーデが付け加えたものでしょう。

*13:NGCカタログやICカタログをまとめたことで有名な、ジョン・ドライヤーの説。