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「金星太陽面通過」関連史跡巡り@横浜

梅雨らしい天気が続いています。例年に比べて気温こそ低めとはいえ雲が多くてうんざりしますが、そんな中、13日土曜日は雲が多くて気温が高めながらも貴重な晴れ間。そこで気分転換も兼ねて横浜方面に向けてガーッ!と歩いてみることにしました。


……と思い立ったのにも、実は目的が。


6月は日本では梅雨時で天体観測からは縁遠いのですが、22年前(2004年6月8日)と14年前(2012年6月6日)には注目の天文現象がありました。


「金星の太陽面通過」です。


ちなみに自分は、神戸にいた2004年こそ梅雨らしい悪天候に阻まれたものの、2012年はかろうじて、双眼鏡を使った眼視で経過の一部を確認することができています。


で、この一連の現象に際して2004年、当時自分が運営していたウェブサイトのネタとして、過去の金星太陽面通過に関連する史跡を回ったのでした。


史跡はいずれも1874年(明治7年)の金星太陽面通過に関するもので、この時は日本を含むアジア地域が観測好適地だったこと、また金星の太陽面通過を厳密に観測することで太陽~地球間の距離を正確に求められると考えられていた*1ことから、各国から日本に観測隊がやってきました。


実際に日本で観測を行ったのはフランス、メキシコ、アメリカの3か国で、フランス隊については神戸と長崎、メキシコ隊は横浜にそれぞれ関連史跡が残っています。なお、アメリカ隊は長崎で観測を行いましたが、直接の史跡は残っていません。ただ、観測所を置いた山(大平山)が、このことを記念して「星取山」に改名されています。


……というわけで20数年ぶりに、これらのうち横浜にあるメキシコ隊関連の史跡をめぐってやろうというわけです。

横浜方面への道のり


自宅付近から横浜方面に向かうには東急東横線を使うのが手っ取り早いのですが、今回は「歩く」というのも目的に入っているので、多摩川に架かる丸子橋を渡った後はひたすら綱島街道を直進します。


武蔵小杉のタワマン群。


武蔵小杉を越えて現れる水路は「二ヶ領用水」。先日の多摩川散歩の際に見た「二ヶ領宿河原堰」からの水がここに繋がってきています。


元住吉駅前に現れるのは「渋川」。前記の「二ヶ領用水」と鶴見川水系の「矢上川」とを結ぶ人工水路です。


日吉駅手前に見えてくるのがその「矢上川」。慶応義塾大学のキャンパスが載る矢上台を回りこむように流れて鶴見川に合流します。


綱島駅を越えて鶴見川へ。


鶴見川を渡ってしばらく行くと、「菖蒲園前」という交差点が現れます。もっとも、現在は周囲に菖蒲園など影も形もありません。これは1933年(昭和8年)からしばらく存在した「綱島菖蒲園」に由来するものです。


綱島は当時から「綱島温泉」が有名でしたが、東急電鉄はさらなる旅客数の増大を狙い、鶴見川を渡った先に「綱島菖蒲園」を開園します。場所は現在「樽町しょうぶ公園」があるあたりから道路を挟んだ向かい側で、約3000坪の敷地にハナショウブやアヤメなど約5万株が植えられていたといいます。ところが、開業からわずか5年後の1938年(昭和13年)6月に鶴見川が大水害を起こし、おそらくその被害のために菖蒲園はあえなく閉園となってしまいます。


わずか5年間しか存在しなかった施設ですが、交差点にはいまだにその名前が残っているというわけです。


やがて菊名駅に到着。ここまで約12kmを約2時間。いいペースです。ここからは旧綱島街道を行きます。


妙蓮寺駅近くの「菊名池公園」。中央にある菊名池は農業用水として作られたもので、1970年ごろまでは南側の「菊名池公園プール」のあたりまで広がっていた巨大な池だったとのこと。


白楽駅のあたりで旧綱島街道からは離れ、線路を渡って東横線沿いに直進。東白楽駅付近で県道12号を渡って「滝の川せせらぎ緑道」へ。そして二ツ谷交差点で国道1号に入ります。


JRと京急をまたぐ青木橋から見える三宝寺。宙に浮いているかのような、思わず二度見してしまう構造ですが、これは正面に当たる旧東海道沿いの土地を手放した*2結果、裏手の道に接続するため本堂を持ち上げたものとのこと。設計案は前住職*3の手によるものということで、なんか色々と不安になります(^^;

hamarepo.com


横浜駅の地下迷宮*4を抜けたら、万里橋で帷子川を渡り、横浜駅根岸道路を南下。高島町の交差点から新横浜通り(桜川新道)に入ります。桜川新道は、かつて存在した水路「桜川」を埋め立てて造られた道路で、現在は地下に横浜市営地下鉄ブルーラインが通っています。


地下鉄の高島町駅。


途中で脇道に折れ、掃部山かもんやま公園へ。


この公園をまっすぐ突っ切り、県立音楽堂の脇を抜けると……


最初の目的地、「金星太陽面経過観測記念碑」に到着です。




金星太陽面経過観測記念碑(紅葉坂)


この石碑は、桜木町駅方面からのびる「紅葉坂」の頂上手前にあり、メキシコ隊の観測100周年を記念して建てられたものです。


フランシスコ・ディアス・コバルビアス(Francisco Díaz Covarrubias)率いるメキシコ観測隊が横浜の港に到着したのは、12月9日の金星太陽面通過まであと1ヶ月と迫った1874年11月9日のことでした。コバルビアスたちは、他国の観測隊が本拠地とした長崎で観測を行うことも事前に検討したようなのですが、冬の太平洋岸は天気がいいこと、また長崎まで移動するのは日程的に厳しいこともあり、結局横浜で2ヶ所に別れて観測を行いました。


結果的にはこれが当たりました。というのも、当日の長崎は天気が悪かったのです。一方の横浜は快晴で、観測は大成功。同行した技師アグスティン・バローゾ(Agustín Barroso)により、十数枚の太陽面通過の写真が撮影されました。このとき、日本の数名の海軍士官が技術指導を受けながら観測を手伝い、明治政府も観測隊に電気設備を提供するなど、日本側とメキシコ観測隊との間に密接な交流があったようです。


後にコバルビアスは、このときの日本訪問の記録を"Viaje de la Comision astronómica Mexicana al Japon"(邦訳「ディアス・コバルビアス日本旅行記」)という書物にまとめています。当時の日本事情を知る上で、とても貴重な資料です。


さて、この碑には以下のように刻まれています。

EL TRANSITO DE VENUS
9 DICIEMBRE 1874
金星太陽面経過観測記念碑

 明治7年(1874年)12月9日メキシコ観測隊
(隊長フランシスコ ディアス コバルービアス)
ならびに日本水路寮の海軍中尉吉田重親らは下記
地点において金星の太陽面経過の観測に成功した
 ここに100年の記念日を迎え 神奈川県及び
横浜市の協力を得てこの碑を建て後世に伝える

 第1観測地点(野毛山)東経139°37’48” 北緯35°26’45”
 第2観測地点(山手)東経139°39’02” 北緯35°26’07”

昭和49年(1974年)12月9日

金星太陽面経過観測記念碑設立期成会


なお、ここに書いてある「第1観測地点」、「第2観測地点」というのは、この碑の建っている場所ではありません。緯度・経度が書いてあるので場所の特定は簡単……と言いたいところですが、気を付けないといけないのは、ここに書いてある緯度・経度は昭和49年当時に使われていた日本測地系によるものだということ。現在の地図アプリなどで利用するためには、「Web版 TKY2JGD」などで世界測地系に変換しないといけません。

vldb.gsi.go.jp



メキシコ隊 第1観測地点


まず第1観測地点ですが、これは碑から直線距離で300メートルほど離れた高台の上です。紅葉坂を登りきったら「伊勢山皇大神宮入口」交差点を左折し、横浜駅根岸道路に沿って200メートルほど坂を下っていくと、いわゆる「野毛の切通し」にさしかかります。この左手にある一段高くなった住宅街のあたりが「第1観測地点」になります。当時の外国人居留地からは離れていますが、明治政府から使用を特例で認められたそうです。



ここには記念碑のようなものは特に建っていませんが、当時、観測機材をすえつけた台石の1つが、現在でも民家の庭に残されているそうです。


過去の「野毛の切通し」の写真を見ると、周囲に障害物は一切なく、見晴らしはかなり良かったはずです。ただ、現在は南側にマンションが建ち、眺望はだいぶ損なわれてしまっています。



ヘンリー・スペンサー・パーマー胸像


せっかく野毛にいるので、近くにある「隠れスポット」にも寄っておきましょう。


横浜駅根岸道路の坂を下り切り、野毛坂の交差点を右折。野毛山公園の方に向かいます。ここから公園の外側を回りこんで旧・野毛山配水池の方へ。そのほとりに立派な胸像が立っているのが見えてきます。


胸像の主はヘンリー・スペンサー・パーマー。明治初期に来日したイギリス陸軍の技術士官です。


パーマーは横浜、大阪、東京などで港湾や上水道の建設に尽力した人で、この胸像は横浜水道100周年を記念して、パーマーの業績をたたえるために1987年(昭和62年)4月に建てられました。


一見、金星太陽面通過とは何の関係もなさそうですが、実はこの人、測地天文学の専門家で、1874年の金星太陽面通過の際にはイギリス隊の隊長として、ニュージーランド・クライストチャーチ郊外のバーナム(Burnham)で観測に携わっているのです。


建てられた経緯はまったく違いますが、「金星太陽面経過観測記念碑」とあわせ、金星の太陽面通過に関係する(?)モニュメントが野毛山付近に複数揃っていることになります。


なお、パーマーは駐香港副領事・安藤太郎を通じて明治政府に天文台の建設を建白し、これが東京天文台……のちの国立天文台に繋がっていきます。彼の、日本での数少ない天文関連の業績の1つです。


メキシコ隊 第2観測地点


さて、寄り道をしましたが、次はメキシコ隊の第2観測地点です。


場所は山手の、現在フェリス女学院中学・高等学校の敷地内にあたります。


現在地から向かうなら、もと来た道を引き返して野毛坂の交差点まで戻ったのち、野毛本通り~吉田町通り~関内とたどって、本牧通りからフェリスにアクセスするのが近いのですが……同じ道をただ戻るのも芸がないので、野毛山公園から京急・日ノ出町駅へと一気に下りることにします。


とはいえ、高低差は軽く30mほど。崖にへばりつくように伸びる階段を下りていくことになります。正直、結構怖いです。


下りたら、横浜駅根岸道路を伊勢佐木町方面へ。途中、伊勢佐木町通りで左折して休憩がてら昼食。


そのまま関内駅に抜けて右折、直進します。


横浜スタジアムが見えてきました。


さらに直進して中村川を渡り、「元町五丁目東」の交差点で脇道に入ります。


住宅街の中をしばし歩くと……目の前に「西野坂」の急階段が現れます。100mほどの距離で約30mを登らなければいけないという、なかなかの罰ゲーム。20km以上を歩いた脚には堪えます orz


それでもどうにか登り切り、フェリス女学院中学・高等学校に到着です。実はこの道路に沿ったところに、もうひとつの「金星太陽面経過観測記念碑」があります。


それがこれ。説明板の表示を信じるなら*5、設置は紅葉坂の石碑と同時期です。とはいえ、言われなければ気付かない程度には地味。2004年に自分が訪れたときには存在に気付かなかった*6ので、その気になって探さないと見逃しかねないでしょう。とりあえず、当時のリベンジを果たせたので満足です。


このフェリス女学院中学・高等学校がある場所は、西野坂の急峻具合でも分かるようになかなかの高台です。"Viaje de la Comision astronómica Mexicana al Japon"に掲載されている絵を見ても、周囲に比べてかなりの高所にあるのが分かります。観測所の正確な位置としてはフェリス女学院中学・高等学校のグラウンドに相当し、現在の標高はおおよそ35mほどです。


フェリス女学院は1870年(明治3年)の創立ですが、当初は居留地39番のヘボン施療所で活動していて、現在の場所で校舎が落成したのは金星太陽面通過の翌年、1875年(明治8年)のことです。おそらく1874年12月の時点では校舎はまだ工事中で、その片隅で観測が行われていたのでしょう。


……というわけで、金星太陽面通過関連の史跡めぐりはひとまず終了。このあとは元町・中華街駅に出て、電車で帰宅となりました。


結局、この日の歩行距離は約25km。食事の時間など除くと正味おおよそ5時間程度で歩いているので、平均時速はおおよそいつも通りの約5km/h。だいぶ持久力が付いてきました。それにしても終盤の野毛山(後ろから2番目のピーク)とフェリス(最後のピーク)、改めて見ても傾斜がなかなかヤバいですね……。

*1:ただ、これを行うには金星が太陽面に内接する「第二接触」および「第三接触」の時刻を正確に測定する必要がありましたが、当時の望遠鏡の性能的な制約もあって期待されていたほどの精度は出ませんでした。

*2:そのため、手放した土地に立ったマンションには一応「参道」が残っていて、マンションの階段を上って屋上に出ると、本堂までの通路が伸びています(よく見ると、写真にも通路が写っています。)

*3:別に建築士というわけではありません。

*4:横浜東口の地下街ポルタは、通路が微妙に曲がっている上に、各出入り口も通路とは必ずしも直交しておらず、入るとかなりの確率で迷います。 www.yokohamaporta.jp

*5:文面が紅葉坂のものと逐一同じなので、説明板が後から設置されたらしいことも含め、どこまで信じていいのか分かりません。

*6:説明板はあとから川崎天文同好会が寄贈したものとのことなので、当時はおそらく説明板もなかったのでしょう。Googleストリートビューを見ると、2009年時点で説明板の存在は確認できません。 maps.app.goo.gl