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LED普及の憂鬱―ノーベル物理学賞受賞は天文趣味にとどめを刺すか?

今年のノーベル物理学賞は、赤崎、天野、中村の三氏でした。研究内容はご存じ「青色発光ダイオード」。この発明によって、安価かつ高効率、低消費電力の照明が実現しました。今や白熱電球はもちろんのこと、蛍光灯すら駆逐する勢いで広まりつつあります。

一般的には実にエコロジカルで喜ばしい話…なのですが、天体観測を趣味とする者にとっては、必ずしも諸手を挙げて歓迎するわけにはいかない事情があったりします。

光害カットフィルターにまつわる問題です。

光害カットフィルターの基本

今さら説明するまでもないような気がしますが、光害カットフィルターというのは、天体由来の光をなるべく通す一方、夜空を明るくする元凶である人工照明の光をカットするというフィルターです*1

このフィルターが機能する大前提として「天体観測上重要な光」と「人工照明の光」の波長が異なっていなければなりません。そうでなければ、光害のみをカットするつもりが、天体由来の光までカットすることになってしまい、逆効果になってしまいます。


さて、照明に限らず光るものは、出す光の波長の特徴によって「連続スペクトルを放つもの」と「輝線スペクトルを放つもの」の大きく2つに分けられます。

「連続スペクトルを放つもの」の代表例は白熱電球です。スペクトルを見ると、幅広い波長にわたって連続的に、まんべんなく光を放っていることが分かります。太陽をはじめとした恒星の光も、基本的にはこうした連続スペクトルです。



Fig. 白熱電球のスペクトル



Fig. 太陽光のスペクトル
地球の大気による光の吸収などで凹凸は生じていますが、スペクトル自体は連続しています。

一方、「輝線スペクトルを放つもの」の代表例が水銀灯やナトリウムランプです。これらのランプは、電球内に封じたガスに高電圧をかけてガスの原子を高エネルギー状態にし、これが元のエネルギー状態に戻るときに発する光を利用しています。この時に出てくる光の波長は原子ごとに厳密に決まっていて、例えば水銀の場合、可視光線として波長404.7nm、435.8nm、546.1nm、577.0nm、579.1nmの光を発し、これを利用しているのが水銀灯です。そのため、こうした照明では白熱電球などと異なり、特定の波長の光のみが強く出てくることになります。

なお、水銀は紫外域にも波長253.7nmの光を出しており、これを蛍光物質に当てて光らせるのが蛍光灯です。蛍光灯から出てくる光も輝線スペクトルです。



Fig. 高圧水銀灯のスペクトル



Fig. 蛍光灯のスペクトル
ここに挙げたのは一例で、メーカーや製品によってスペクトルは多少変わります。

また、散光星雲や惑星状星雲は、星の光によって高エネルギー状態になったガスが輝いているもので、おおまかな仕組みとしては水銀灯などと同様です。そのため、これらも特定の波長の光を強く出しています。観測上重要なのは、水素原子由来のHα(656.28nm)、Hβ(486.13nm)、酸素原子由来のOIII(495.9nm、500.7nm)、硫黄原子由来のSII(671.6nm、673.1nm)などです。



Fig. 散光星M42(オリオン大星雲)のスペクトルぐんま天文台のデータより)
水素原子由来の輝線がきれいに見えています。

光害の主因とされるのは、水銀灯による緑がかった光やナトリウムランプによるオレンジ色の光と言われていますが、上に書いたように、これらはいずれも輝線スペクトルを放つ照明です。つまり、水銀やナトリウム由来の輝線をカットすることができれば、光害の成分を大きく減らすことができます。一方、星は連続スペクトルで輝いていますから、一部の波長がカットされたとしても大きな影響はありません。また、水素や酸素が放つ輝線の波長は水銀やナトリウムとは異なりますから、これにも影響はありません。

下の図は、各種照明のスペクトルと光害カットフィルター(サイトロン LPR-N*2)の透過度などを重ね書きしたものですが、天体観測に必要な光を透過しつつ、水銀灯などの輝線を効果的にカットしているのがよく分かると思います。



Fig. 人工照明と観測上重要な輝線、フィルター透過度の関係
fluorescent lamp:蛍光灯 Hg lamp:高圧水銀灯 Na lamp:高圧ナトリウムランプ*3
LPR-N:サイトロン製光害カットフィルター LPR-Nの透過度

LED照明と光害カットフィルター

さて、ここでやっとLEDの話です。

青色LEDの開発により、LEDに赤、緑、青の光の三原色がそろうこととなり、LEDで白色の光を作り出すことが可能になりました。また、エネルギーの高い青色LEDの光を使って蛍光物質を光らせる、という方法でより簡単に白色の光を作ることもでき、現在照明として用いられているのはもっぱら後者の方法です。

で、このLEDのスペクトルなのですが…



Fig. 照明用白色LEDのスペクトル

一目瞭然。連続スペクトルです。しかも、最も強度の高い470nm付近はフィルターの透過度が高く、ダダ漏れ状態。もし将来、LEDが光害の主要因になるようなことがあれば、もはや光害カットフィルターは用をなさなくなってしまうでしょう。ナローバンド撮影に逃げ込むしかないのか…。


震災以降、省エネの流れの中で不要な照明やライトアップを控える動きが一時ありましたが、LEDの低消費電力を免罪符にするかのごとく、最近照明やライトアップが以前にもまして増えてきたような印象があります。LEDを使っているにしても、無駄なエネルギーを夜空に放出していることに変わりはないのですから、照明を使う方、設置する方にはそのあたりをよく考えていただきたいと思います。

*1:光害カットフィルターは日野金属産業(ミザール, 現・ミザールテック)の「μ(ミュー)フィルター」が元祖で、80年代以降、国内の光害が激しくなるにしたがって開発が進み普及していった経緯があります。もはや日本の特産品と言ってもいいでしょう。情けないことに。

*2:単に「透過率のグラフが処理しやすかった」という理由で一例として挙げただけで、他意はありません。他メーカーのフィルターも特性はほぼ同様です。

*3:現在、照明として用いられているのは高圧ナトリウムランプが主です。昔ながらの低圧ナトリウムランプはほぼ589.6 nmと589.0 nmの光しか発しませんが、高圧ナトリウムランプでは電球内のナトリウム濃度が高いため、これらの輝線がナトリウムに吸収されるなどしてエネルギーが複雑に変化し、発光スペクトルの波長域が広がります。